< ホ ー ム >

目 次
                                     
§開会あいさつ  全国空襲連運営委員長  星野 弘
         黙 祷
§特別報告     全国空襲連共同代表   中山武敏  
§激励・連帯あいさつ
     首藤信彦衆議院議員(議員連盟会長)
     木村たけつか衆議院議員
     初鹿明博衆議院議員
     福島みずほ参議院議員
§講  演            ルポライター  鎌田慧さん
     
(全国空襲連ホームページへリンク)別冊にしてあります
    
「3.11東日本大震災、福島第一原発の事故が問うもの」
       
§自由発言
   児玉勇二弁護士(弁護団副団長)

    内藤雅義弁護士
    黒岩哲彦弁護士(弁護団事務局長)
    柴田鉄治さん(元朝日新聞論説委員)
    中野ゆかさん(和・ピースリング)
    斎藤貴男さん(ジャーナリスト)
    馬場裕子さん(都議会議員)
    河野達夫さん(新宿区議会議員)
    澤田猛さん(元毎日新聞記者)
    早乙女勝元さん(作家
§ アピール      全国空襲連副運営委員長   安野輝子
§ 閉会あいさつ   全国戦災傷害者連絡協議会 岩崎建彌


星野弘 全国空襲連運営委員長

 本日は本当に暑い中、多くの皆さん方にお集まりいただきまして本当にありがとうございます。

 全国空襲被害者連絡協議会を結成して昨日で丸2年。東京大空襲訴訟の判決は425日に下りましたが、最初の提訴以来丸5年経過しました。この間、多くの皆さんのお力添えで、運動は全国空襲被害者連絡協議会に発展しました。

今日沖縄の被災者67千人の人々を代表して、40名の人々が国を相手に提訴をいたしました。この沖縄訴訟で全国の大小都市空襲と艦砲射撃等で被害を受けた全ての人々を包含する裁判の仕組みができました。当然救済援護を受けていない原爆被害者も含まれます。

今、千6百の地方自治体のうち、百名以上の犠牲者を出した都市が84あります。このこと一つをとってみても、全国の主要都市をはじめ、津々浦々、死者・被害者がおられます。

東日本大震災には多くの皆さんに募金のお願いをし、被害を受けた子供たちの教育費の足しにと、ユネスコを通じて106万円の募金を届けました。8月11日、郡山市で空襲犠牲者遺族や原発被害者の方々と交流集会をし、東北にも運動を広げる足がかりができました。この到達点はまだまだ小さなものですが、国の不条理な、民間人を差別する政策をやめさせ、戦争の犠牲者が等しく人権が尊重され、人間としての尊厳が守れる世の中を後世に引き渡すために、決意を新たにして頑張ります。



司会
 今日は815日、戦後67回目の終戦記念日です。15年続いた戦争がアジアの人々を含めて2,000万余、そして日本で310万余、空襲では50万余の命が奪われました。ここで皆さんと黙祷を捧げたいと思います。

黙 祷


中山武敏 共同代表 特別報告 
 
 ご承知のように4月25日、東京高裁は東京大空襲訴訟の原告の訴えを棄却しました。
 この判決は第一審と同じように、全国の方々が多大な被害を受けたことは事実認定をしています。その上で第一審が立法を通じて解決すべき問題であると判決したのをそのまま支持しています。

昭和28(1953)年に軍人恩給法が復活し、軍人軍属に現在まで53兆円の国家補償がなされています。しかし空襲被害者は全くゼロです。これが憲法14条に違反するのかどうか、というのが大きな焦点の一つでしたが、今度の東京高裁の棄却判決は、最高裁の名古屋空襲での戦争損害受忍論、戦争による損害は国民等しく受忍しなければいけないという判決(1987)を引用して、原告の請求を棄却したわけです。最高裁ではこの受忍論を打ち破るような大きな運動を展開していく必要があると思っています。

そして今回の戦争被害受忍論は、司法が原発に対しても安全性の判断を専門家の意見を聞いた内閣総理大臣の合理的な判断に委ねているということで最高裁も愛媛県の伊方原発訴訟でもそういう判決を出して、ことごとく安全性の問題、電源喪失の危険性があるという問題を退けてきている。全く司法が司法としての責任を果たしておけば、今回の福島原発の事故も防げている。本件にも同じような問題が根底にある。

811日に催された「311大震災 福島原発 310東京大空襲」郡山集会について、今日東京新聞が“空襲被害者 被災者と連帯”、“戦争・原発「棄民」問う”と報道しています。311に対する政府と司法の態度は、東京大空襲や原爆被害補償など戦後補償と同じなんです。国策として電力会社と財界と政府が一体として進めて、安全神話の中で安全対策も退けられてきた。そして未だ原因は何かという究明もされていないし、責任の所在も曖昧にされています。そのなかで終息宣言をし、原発を再稼動している。本当の事実を市民に伝えていない。放射能について健康に直ちに影響はないとか、国の定めた基準以下で心配はないとかいった発表をしてきました。それは東京大空襲の大本営発表と全く同じです。310日に10万人の命が失われ、100万人が被災しているのに、大本営はそのことを一言も発表しないで、B29130機昨暁帝都市内猛爆、約50機に損害、15機を撃墜と発表して、マスコミ各社はこれをそのまま発表しているんですね。

朝日新聞の木村英昭記者の『検証 福島原発事故 官邸の100時間』を紹介。

314日の時点で放射能汚染がどのように拡散していくかを示すスピーディ(SPEEDI:緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)と名づけられた資料があったのに、314日の時点で米軍司令部が伝えて、(東電は)国会、政府、官邸にも伝えてないんですね。被害にも活かされていない。(空襲と)全く同じような構図の中で展開されてきているわけです。こういうことも併せて私たちは問題にしている。

それから須藤先生からお話がありますけれども、超党派の議員連盟ができて、金額を盛り込んだ法案の素案ができたわけです。この法案の国会提出と成立は、どれだけ多くの世論の支持と共感を得られるか、にかかっているわけです。

東京大空襲の原告団の平均年齢は80歳、全国の空襲連被害者もそれに近い。東京大空襲では提訴から二審判決までもう10名の方が亡くなられている。本当に最後の機会なんですね。是非法案を成立させていただきたい。

後方に『未解決戦後補償』という本が販売されています。東京空襲のほかに、重慶爆撃、従軍慰安婦、強制連行など沢山の未解決の問題が残っているんです。この本に対して、三人の弁護士から手紙がきたんです。「ご指摘の核心である無差別爆撃の先例となった重慶爆撃はより大きな無差別爆撃につながった旨のご指摘は非常に重要です。また受忍論は国防義務、統帥権の旧憲法的感覚に基づくもので、現憲法の平和的生存権、生命・自由・幸福追求権、法の下の平等と相容れないとのご指摘に全く共感いたします。最高裁の抜きがたい政権追従の体質から、判決の帰趨は楽観を許さないかも知れませんが、いっそう広範な平和勢力の共感を拡げ、強大な運動を展開されることを期待しています。」と

私たちの運動は、本当に歴史的な意義がある運動です。


首藤信彦 衆議院議員(議員連盟会長)

私たち国会の議連も2周年になり、今年は全国空襲連、議連、法制局など多くの皆さんの力で、法案の原案を作成することができました。この法案の要旨は、空襲によって亡くなられた50万、あるいは60万の犠牲者、それに身体的障害、精神的傷害を今なお抱えている方、それに孤児の方も救済の対象になっております。空襲という町、村全体がすべて消えていくというところで、本当に生き残った数少ない孤児の方に、今の思いとその活動が、今の空襲議連の法制化への大きな力になりました。やはり孤児というカテゴリーが本当に重要で、関係者を説得してまいりたいと思っています。

本当に難しい法案でございます。この話をしますと多くの国会議員は賛同してくれます。しかし議員の皆さんは、いわゆる慰霊碑というもののレベルに留まっておりまして、何故犠牲になった皆さんに補償、賠償をしなければいけないのかということが、なかなか日本の社会では伝わりにくいのです。時間をかけて説得したあと、どのくらいの予算規模になるかということが問題になります。民主党政権になって漸く陽の目を見たシベリア特措法、これも50万人の被害者があったんですが、この特措法の上限金額は200億円でございます。つい最近その200億円をほぼ消費いたしました。これに対して空襲被害者は5060万人、一人100万円としても5千億円、7千億円という規模となります。議員間でも驚きの表情が読み取れます。

しかし現在、東日本大震災の復興を考え合わせ、消費税をお願いしなければいけないほどの財政難のなかにおいて、それでも私たちは、これは正義のために要請であるというところから、私は民主党の衆議院議員ですが、今この政治の混迷のなか、この問題をしっかりと理解していただいて、全党の皆さんの賛同をいただき、法制化に向けて一歩一歩進んでまいりたいと思っています。

私たちは戦後67年経って、いま歴史をただすそういった活動を進めているんだという覚悟を決めて進んで行きたいと思っています。今日ここ一堂に会った皆さんと心からの連帯を表明してお話をさせていただきました。


木村たけつか 衆議院議員

私の選挙区は墨田区と荒川区でございます。東京の初空襲は(荒川区)尾久だったと伝え聞いています。また下町地域が一夜にして10万人の命を奪っていった。慰霊堂で310日に慰霊祭が開かれており、毎年私も拝まさせていただきながら、敗戦後の処理、補償の在り方に関して考えさせられている一人ございます。

また、国立の全国の戦災犠牲者の平和慰霊碑の建立を実現する議員連盟がありまして、私も事務局長を仰せつかっておりますけれども、せめて慰霊碑の建立を国の責任においてやって欲しいということで、私ども江東区の滝保清さんという方が10万人のご署名を集めて、第163回国会の衆議院におきまして内閣府の採択を得て可決したわけでありますが、未だに慰霊碑の実現がなされていない。当局は建立する意図はない。姫路市に全ての地方自治体が統括する中で慰霊碑を建立しているので、それを以って建立しているものと解釈をしている、というとんでもない議論があります。このことも宿題として私も精進させていただきたいと思います。軍人と民間人とが差別をされている国は、わが国日本だけであります。この戦後補償にあり方をしっかり踏まえて、空襲被害者等援護法の実現にむけて頑張りたいと思います。


初鹿明博 衆議院議員

この327日、私の92歳になる祖母が亡くなりました。祖母は小松川というところで東京大空襲に遭い、その時2歳の、私の父を背負って荒川の土手まで逃げ、小松川橋を渡って向こう側に渡ったと聞いています。多くの人は中川の方に逃げて3千人以上の方が川に飛び込んで亡くなった。子どものころ祖母から聞いた話では、荒川でも沢山の人がぷかぷか浮いているのを見て、川に飛び込んではいけないんだなと思って橋を渡って逃げたと聞いております。もしあの時祖母が違う判断をしていたら、私自体がここにいなかったかも知れませんし、また父が皆さま方と同じように孤児になっていたかも、とずっと感じながら生きてまいりました。

われわれの世代がいちばん、直接被害に遭った人の声を聞けるぎりぎりの世代ではないかと思います。この世代の責任として、空襲被害者等援護法を須藤先生、木村先生、それから福島先生と一緒に協力しながら、何とか成立さて行きたいと思っています。

福島みずほ 参議院議員

きょうは15日、毎年の千鳥が淵戦没者墓苑での追悼式があり、そこで追悼のことばを述べまして、そのまま空襲被害者の追悼の意味もこめて、喪服のままここに参りました。

いま三方の先生からも発言がありましたが、須藤先生を中心に援護法案の要綱ができて、何としてもこれを超党派で、国会で成立させるべく社民党としても全力で頑張って行きたいと思っています。

私が戦後補償の裁判をやる弁護士のとき、つくづくと差別があるという感じを受けています。とりわけ日本の軍人軍属の人たち、もちろん凄まじい労苦と被害はあるわけですが、50兆円超の援護を受けてきた。しかし民間の人たち、朝鮮半島の人たちはその埒外に置かれてきた。諸外国の法制度は民間人もきちんと補償をしている。日本でも空襲で亡くなった人たち、それに障害を負ったり、戦後孤児になってひとりで生きてこなければならなかった人たちの、その被害に対して国は責任を果たすべきだと思っています。

須藤先生がゆがめられた戦後補償を正していくんだとおっしゃいましたが、私も全くそれは必要だと思っています。
 空襲裁判や立法運動など、救済・援護のさまざまに取組む中で、あのイラク戦争では、ゲームのような映像が放映されましたが、その下で空爆されている人々に想いを馳せ、戦争を無くすために、ともに頑張っていきたいと思います。

 

 服部良一議員秘書、鳩山邦夫議員秘書が出席。高井崇志議員連盟事務局長、瑞慶覧長敏議員、服部良一議員、工藤仁美衆議院議員、志位和夫衆議院議員、市田忠義参議院議員からメッセージが寄せられました。齋藤勁衆議院議員議連事務局長・高井貴志衆議院議員のメッセージ

講 演 「3.11東日本大震災福島第一原発の事故が問うもの                 鎌田慧さんの話 (要約)

「さよなら原発」の運動の呼び掛け人は、戦後これから始まる民主主義に期待し、新憲法の平和に対する決意という言葉を、ずーっとかみしめてきた方たちである。敗戦の年、日本は国体護持のため戦争終結の決断をなかなかしなかった。
 そのために空襲と原爆で被害と犠牲を拡大した。広島の後に長崎があったことと重ねて考えると、次の原発事故がないように早く原発から脱しなければいけない状況である。今原発を止めるということは、かつての国民の厭世気分にあった、肉親が殺され本当に戦争はもういやだという状況とそっくりな状況にあって、必要なのは決断である。憲法にある平和に対する決意である。

かつての軍事産業は原発産業として復活し、今、原発を再稼動させるのは新たな国体護持である。日本は空襲犠牲者にきちんと補償していない。戦後補償をきちんとしない限り、これからは絶対戦争をしないという反省になっていない。

ドイツは戦後補償をきちんとしたから、原発から自然エネルギーへの転換の道をいち早く選んだ。今、市民が集会や国会前に何万人も集まってきます。本当に開放された明るい笑顔です。こういう人たちが、これからの日本を作っていくわけで、この戦争補償問題も一緒になって進めていければと思っています。
                         


児玉勇二弁護士(弁護団副団長)

 上告理由書の憲法14条のところを分担して一所懸命書いているところです。軍人軍属と空襲被害者の援護対比が50数兆円とゼロ。特に1960年代に日本遺族会の政治的な圧力によって、軍人軍属の給付、特別給付などの金額をどんどん増やしていく。そういう中でその増やした金額を維持するために、支給対象を妻とか親だけでなく、兄弟姉妹にまで拡げていく。それに沖縄の軍務に関わった民間被災者にも補償を拡大させてきた。

その間いろんな懇談会などで、空襲被害者にまで補償を拡大させないための、排除の構造がズーット続いた。そして、今日とうとう沖縄でも取り残された被害者の人たちが提訴するに至った。

皆さん方の裁判のなかで考えてみると、皆さん方が補償されていないのは憲法14条に違反すると確信を持って頑張っています。


内藤雅義弁護士

 上告理由書を書いているなかで、またオレンジのパンフレットを読んで痛感することは、日本という国は責任を取るべき人たちがきちんと責任をとらないで、被害者が見捨てられていく。その構造は原発も同じだということです。

軍人軍属に対する補償は、我々が税金で負担している。実は、軍人軍属の人たち、戦争を指導した人たちは少なくとも結果的な責任をとらなければいけない。その人たちに最も手厚い補償をしているということは、結局その人たちが責任を取っていないということになる。国際法的にも最も保護されなければならない民間人がそのままになっている。
 これは人権とか個人の尊厳を保障している憲法の考え方に全くそぐわないと思います。それと同じことが今度の原発でも起こっている。もっとも責任を負わなければならないのは東京電力である。東京電力の会社が法的な責任を負うこと以上に、株主、債権者である資本家、銀行などそういう人たちが責任を取って、その上で国が責任を取ることが大事。その国の責任も国民の税金の負担。それを極めてあいまいにしたまま、税金でお金を出して東京電力を生かして、最終的に電力料金で負担をさせるというこんなばかげたシステムはない。そういう意味できちんと責任をとらせるという意味でも、原発を考えるうえでも、きちんとした民主主義の国にするうえでも、この法律を是非やらなければいけないし、最高裁でも勝たなければならないというつもりで上告理由書を書いています


黒岩哲彦弁護士(弁護団事務局長)

 いま、上告理由書と、上告受理申立理由書という二つの文書を書いています。これを100日以内、今月の末まで出さなくてはいけません。

 最近裁判所は、東日本大震災以降、人々に冷たくなる傾向があるような気がします。私どもが憲法を活かしてほしいと思っていますが、裁判所は逆の傾向になっていて、国の財政などを気にしているような気がします。裁判所のあり方自体を問い、人権を守るという役割を果たしてほしいと思っています。そのために私らの裁判だけでなく、関係する裁判も応援して、最高裁判所の人権の砦にしていくとう頑張っていきたいと思っています

                      

柴田鉄治さん(元朝日新聞論説委員)

 私も東京空襲の被害者なんです。父を残して私は東京郊外に家族で疎開をしていまして、東京の空が真っ赤に焼けているのを、父を心配しながら見ていました。翌日父はぼろぼろになって現れて、命からがらで助かった。数日後父と一緒にわが家の焼け跡を見に行った。
 わが家の小さな敷地いちめんに焼夷弾の破片が埋まっているのを見て、よく父は助かったなと思いました。その風景が私の人生の原点になっており、二度と戦争を起こさないためにとジャーナリストになりました。

 私は、空襲の焼け跡の光景を見て、空から爆弾を落とすということは、ものすごく非人道的で酷いことで、禁止条約でもできたらいいなあとその時から思っていたんですが、そんなこと口に出せない環境だったんです。ところが最近そうでもなく、可能性がでてきたと思っています。核兵器の禁止条約も出来ない中で、そんな空から爆弾を落とすことを禁止するような条約は出来るわけないと思っていたんですが、そうでもないというのは、オタワプロセス (1997年に採択された対人地雷禁止条約 [オタワ条約]の交渉過程のこと)という形で、対人地雷とか[オスロ条約](クラスター爆弾の禁止条約)が相次いでできた。全世界ではなくて、賛成する人は集まれという形で呼び掛けた国が中心に集まって禁止条約をつくっている。するとなかなか使いにくくなっている。いっそのこと日本がオタワプロセスで言い出したら素晴らしいですね。日本は重慶爆撃で加害者でもあるし、東京空襲をはじめ、全国都市空襲、広島、長崎の大被害者でもあるわけです。いまここに政治家のかたがいらっしいますが、ぜひ日本が呼び掛けて賛成国集まれという形で空爆を禁止する条約をつくっていけば、人類、地球を救う上で後の世代に大変プラスになります。これはこうなったらいいなという私の夢です。

                     

中野ゆかさん(和・ピースリング)

和・ピースリングは戦後60年、2005年にできた小さな市民グループです。2006年から浅草ウォークというイベントを毎年開催しています。
東京の空襲被害者の方々と原爆被害者の方々(東友会)が始めて一緒に行動しましょうというものを和ピースリングが取り持ったという形で始まりました。今年は第7回、10月21日(日)やります。会場はこちらの台東区民会館で集会のあと、浅草寺をグルッと一周しながら、この「戦後補償のゆがみを正しましょう」と地域の皆さんに呼びかけながら歩きます。どうぞご参加をよろしくお願いします。


斎藤貴男さん(ジャーナリスト)

いろんなご縁があって若輩者ですが共同代表を務めさせて頂いています。1958年生まれで、母が東京大空襲の被災者で、父はそのとき満州にいましてその後シベリアに抑留されて、昭和31年に帰国し私が生まれました。いろんな仕事をしてきましたが、全国空襲連ができてこの2年間にやった大きな仕事は「消費税のからくり」「東京電力研究-排除の系譜」という本を出したことです。

こういう仕事をする中で、皆さんがおっしゃったことに辿りつくんです。要するに日本という国は受忍論でできていると。これがいわば国是ではないか。戦前、戦中はもちろん戦後もずーっとそうだったというのが私なりの結論です。

それはとにかくアメリカに従うこと、アメリカの利益のためにも高度成長を成し遂げること。そのためにはすべての人が人権を奪われても従順に何もかも受忍する。そうやって我々は生きてきたのではないかということです。

その一方では高度成長のために朝鮮戦争やベトナム戦争による、直接特需や間接特需によって私達の今がある。私はつい最近まで戦後民主主義の申し子だくらいに思っていたが、何のことはなくて朝鮮の人やベトナムの人たちの屍のうえに自分は生きている。つまり戦争で食ってきたということを感じざるを得ませんでした。その延長線が東京電力の問題です。

消費税にしても、納税義務者は年商1000万円以上の事業者なんですが、(価格に)転嫁なんかできる筈はなく、実際に税金を負担する担税者は消費者で、必ず弱い低所得者も負担する。もしも増税されたら中小零細企業、自営業は軒並み倒産か廃業に追い込まれる。そこで働いている人たちは失業する。14年連続3万人以上の自殺者は必ず5万人を超え、世界最悪の自殺率の国になります。

つまりすべて受忍論だということです。学校を出て30年続けてきて、漸く見えてきた。受忍論をつぶさないことには結局何をやってもだめなんじゃないかという風に思います。ジャーナリストとしてこれから一生懸命取材して、書いて、喋って、こういう運動にも参加していきたいと思います。


馬場裕子さん(都議会議員)

都知事は、原発の住民投票についても大事なことは自分とか国が決めればいい。都民は分からない、決められる力がないとあからさまにおっしゃる。首都東京を担っていく方の発言として私はとても受忍できないと思っています。

 最近は尖閣諸島を買うという話で、自分でないと売ってくれないと言い、東京都が買うということは、都民にとっても、国民にとっても利益があることになるとおっしゃる。尖閣を買い、所有することは誰のために買うのかしっかりと追及していきたいと思います。

これからの若者を留学させて世界でしっかり働いてもらおうという知事が考える国際性とか利益では、国際人として歴史的認識を持った東京の高校生、大学生を作るなんてことは考えられないと思われ、私は残念でなりません。

今日の話も含めて本当の歴史的な認識を持たなくてはいけないと考えています。皆さんと一緒に頑張りたいと思います。
                 

河野達夫さん(新宿区議会議員)

この会との付き合いは江戸博物館で行われた集会に参加して以来、関心を持ちまして地方議会で何ができるか考え、法律を作るためには地方議会で意見書をあげる役割がありますので、新宿区議会のなかで何度かそういうことを試みましたけれども、なかなか理解を得られませんでした。6月の第2回の定例会の中に当初は「空襲被害者援護法の制定を求める」というズバリそのままのタイトルにしましたが、「それでは乗れない」という党がありましたので、結果的には「空襲被害者の援護に向けた実態調査の実施を求める」という形になりました。
 中身はほとんど変わりがありません。何としても立法府の役割をさせるためにと思い、何とか最終的に全会一致で意見書をあげることができました。他の地方でもいくつか動きがあるということですが、ぜひ皆さんの活動として、それぞれの議会に請願や陳情を出してこういう意見書をあげてもらいたいと思います。そのためのひとつのステップとして参考になればと思い頑張ってきたつもりです。何としても法律の制定、国民一人一人が大事にされる社会にするために一緒に頑張っていきたいと思います。


澤田猛さん(元毎日新聞記者)

今日気づいたこと一つ。どういう伝え方をするか、真面目に考えなければならない。

新聞社などメディアでは、「広島・長崎」と「空襲」は別なんです。広島・長崎は空襲ではなく原爆として扱う。前田哲夫さんが「広島・長崎は核による空襲なんだ」と言われ、無差別爆撃という点ではまったく変わらない。

このように同じ空爆でもメディアは使い分けをする。3月10日、8月6日、9日そのときだけ騒ぐ。あとは1年間お休みしている。被爆者は空襲体験者のことを知らない、空襲体験者は広島・長崎をよく知らない。知らない者同士がどうやって連帯していくか。

 空襲被害者と被爆者は、全く根は同じだとし、双方がうまくリンクして運動を広げていかないと突破できないと思います。

                 

早乙女勝元さん(作家)

今日は8月15日です。あの日あの時、私は13才で、現在の墨田区寺島町に住んでいました。親達は隣組の詰め所で天皇のラジオ放送を聞くべく全部集合しました。私は留守番で聞いていません。誰もいなくなるとみんな空き巣に取られてしまう。そんな窮乏の極にあったのです。
 大人たちの言葉の端々で戦争が終ったらしいと分かる。神風が吹いて勝利するか、あるいは一億玉砕で果てるかどっちかしか道がないと教えられていたのですが、負けたけれども何とか生き残れるらしい。
 後になってから天皇の詔勅の中の「国体を護持しえて」という1行に注目しました。ポツダム宣言が発せられたのは7月26日です。それから半月あまりも国体をめぐって日本の戦争指導部はとにかく迷い悩み続けていたのです。その間に広島長崎があったことは言うを待ちません。

その日から長い歳月が通り過ぎて、いま国会には憲法審査会が動き出しました。自民党からは憲法改正原案が出ました。「天皇を元首に」「自衛隊を国防軍にする」など、これは全くいつか来た道といっても過言ではありません。そういう道に絶対に行ってはならない。そのためには誰かがストップをかけなければ・・。どのようにストップをかけるか。戦争のケジメをきちんとつけさせるということです。そういう点では原告団の皆さん、弁護団の皆さんが5年余りの間大変な努力で奮闘してくれたことに、私は歴史的にもお礼を申しあげたい気持でいっぱいです。

最高裁の闘いはあと一年余りで判決が出るだろうと聞いております。今踏ん張らずしていつ踏ん張る時がありますか。何としても最高裁の勝利を。空襲被害者援護法を勝ちとりたいと思います。いい歳になりましたが、あと少し頑張れるかな、皆さんと一緒に歩いて行こうと思います。
                

安野輝子さん(全国空襲連副運営委員長)のアピール 
           
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閉会挨拶 

岩崎建彌さん(全国戦災傷害者連絡協議会)

岩崎建彌さんは、杉山千佐子さんの
 “目と耳、手となり足となって、
 その念いの成就のために、支えています。
                  

日中国交正常化40年、沖縄本土復帰40年、名古屋の杉山千佐子という女性が全国戦災傷害者連絡会(全傷連)を立ち上げて40年です。
 この全国空襲連の前身に当たる全傷連を40年前の秋、名古屋空襲を記録する会の中にこの組織を作ったんです。
当時彼女は56歳、今は96歳。私は中日新聞、東京では東京新聞の社会部の記者として彼女に会いに行きました。顔は爆弾で左半分はえぐられ、左目は摘出、右目も爆風で網膜にやられていまほとんど見えません。耳も聞こえません。

今日は、20数年前から名古屋では民間の戦没者の慰霊祭が行われていて、その中心になっているのが杉山で、今日はその挨拶をするのでこれません。

この運動について、少しエピソードを紹介して挨拶に代えたいと思います。

40年間の間に14回「戦時災害援護法」を国会に提出したんですが、いずれも廃案にされました。昭和48年から平成元年まで14回です。一番の理由は、政府厚生省が言うには、民間人は国と雇用関係がなかった。国が一般民間人に協力しろなんて積極的に頼んだことはないと。全くうそですよね。戦時中は「戦時災害保護法」という法律で、民間人が空襲で被災した場合、死んだ場合、怪我をした場合いろんな形の保護が受けられるようになっていた。空襲が悪化する直前までは、東京でも大阪でも名古屋でも実際に施行されていたんです。

敗戦によって戦後廃止された。ところが軍人恩給とか、軍人・軍属への援護だけが復活して今日に至っています。

国会へ行っても、傷痍軍人の団体の大会に行っても本当に酷い目に遭いました。杉山は罵られ、女のくせに何だと、元軍人から戦争に行ってもいない奴が生意気だ、と。国会の中でもいた。

ところが平成元年(1989)、杉山が名古屋のテレビ局と一緒に、旧西ドイツの援護法の調査に行ったとき、何と西ドイツ、今はドイツの元軍人・軍属・民間人は、多少の違いはありますが平等、公平に国家が援護しているんです。しかもものすごく細かく手厚いです。足を失くして、ズボンをはいて膝を折ってはいていると擦り切れる人の衣服に対する補償ができているんです。西ドイツでは1950年(昭和25年)に援護法ができたんです。最初は元軍人・軍属を対象にしていて、一部は施行されていた。しかしながら元軍人、大怪我を負った軍人たちが、民間人もわれわれ以上の苦労をしているのに、一緒に援護していないのは間違いだと、軍人の団体が運動をして、現在の平等の法律にしたんです。日本の場合だとすれば、傷痍軍人の団体が平等の立法へ運動したんです。しかし日本では、しかも女性が40年間運動をしてきたんですよ。いま96歳の一女性が、死んでも死に切れない、とにかく援護法が実現するまでと。杉山は名古屋で今日も慰霊祭、昨日は名古屋の平和のための戦争展、頑張っています。

 杉山さん、貴女は「神がそういうように生きよとこの世に遣わした」身だと思っていい。頑張れるだけ頑張りましょう。
 日本という国は責任をとらない。特に組織というものは会社であっても国家であっても。日本人そのものがそうなんだ。一時的には同情しても時間と共に忘れる。問題の本質を考え、共有し継承するということができない、これを文化と言っていいかどうか、そういう民族なんではないか。その観点で闘っているんじゃないか。
 これはこの国を根本から作り直す運動なんだ。子どもたちにこのまま渡すわけにはいかない。 沖縄、原発の問題もそうです。犠牲を強いておいてわれわれは遠くで利益だけを共有している共犯者です。われわれはその思いを強く持って、この運動に取り組んでいこうではありませんか。

             
つどい 終り