沖縄戦国賠訴訟 福岡高裁も棄却         
           
  なぜでしょう?     
                       
戦後補償行政裁判を裁く

沖縄戦被害国家賠償訴訟

(2017年) 11月16日福岡高裁那覇支部で、「沖縄戦被害国家賠償訴訟」の二審判決がありました。

 新聞記事(琉球新報、毎日)によると、沖縄地裁は、大日本帝国憲法下での、国の公権力の行使による、原告らの戦争被害に対する賠償責任は認められない、として沖縄地裁同様に請求を棄却しました。

戦争による壊滅的な人的・物的被害を受けながら、被占領下でも日本国民・政府・国会・司法は存続していました。大日本帝国憲法を改正し、1947年5月3日に日本国憲法を施行しています。

新聞による判決理由から、沖縄高裁の判断の大まかな争点を検討してみます。

【争点】

原告らが沖縄戦で家族を亡くしたり負傷したりするなどの被害を受けたことは認定した。その上で日本軍の、集団自決など住民を巻き込む戦闘行為でもたらされた多大な被害が「不法行為」に当たるとする原告の主張に対して、沖縄戦当時は明治憲法下であり、日本国憲法第17条に基づく国家賠償法が施行(1947年)される以前であるので、国は損害賠償の責任を負わないとした(国家無答責の法理)。

軍人・軍属や一部民間戦争被害者などに補償がある一方で、民間戦争被害者への補償立法を放置してきたことは「法の下の平等に反する」などとする「立法不作為」の主張については、「(補償立法の制定は)立法府に広範な裁量が認められる」とした。補償に関する軍人・軍属などとの違いについては「不合理な差別とまでは認められない」と判断。


【検討】

裁判は、現憲法と現法律に基づいて判断するものと考えます。旧憲法と旧法律は歴史上の文書として存在しても、その法的効力は無く、判断の根拠にはなりません。国家無答責などという論理もありません。しかし、国家は続いており、戦前・戦後で断絶することはあり得ません。国家は戦争に勝っても負けても巻き込まれても、軍・民の隔てなく、現憲法に基づいて戦争の被害者を救済、または救済要求に応えなければなりません(第11,12,13,14,16,17,25,29条)。現憲法を無視して、無効な旧憲法を盾に判断することは、司法制度にあり得ない事でしょう。

国は1952年に、戦前の軍人・軍属・準軍属を救済するための「軍事扶助法」を復活させて「戦傷病者戦没者遺族等援護法」をつくり、1953年に「軍人恩給法」も復活させ、改定を重ねています。旧軍人・軍属の被害者を援護する法律をつくるのは、国として当然のことです。しかし、その援護法の目的と内容を、効力のない旧憲法下の法律に沿って作っているために、その内容に新憲法の第14条に照らして違反状態にある部分があります。全て国民は、法の下に平等であって社会的身分や軍人の階級によって、経済的、社会的関係において、差別されないはずです。終戦直後では、大半の政治家も国民も、新憲法の意味を理解していなかったと言われています。

一方、旧憲法下でも民間戦争被害者を救済する「戦時災害保護法」があった。しかし新憲法下での戦前の「保護法」に相当する法律は未だにありません。1973年の第71回国会から1984年第101回国会まで14回に渡って、「戦時災害保護法案」が上程されるも審議未了廃案。

旧憲法には国家賠償法は無かったとか、現憲法に戦争被害者を援護する一意的な法律がないので、政府や国会に責任はないとするのは、憲法第13条および第17条に基づく「国家賠償法」の存在を故意に無視しています。裁判官たるもの知らないはずがない。13条で、国民の権利について、「公共の福祉」に反しない限り、立法や国政で最大の尊重を必要とすると書いています。国の戦争に起因する被害の救済を求める権利は、具体的、合理的な「公共の福祉」そのものであって、政府と国会が救済援護法をつくる義務があることは論を待たない。われわれ国民は、戦争被害者に対して第29条3項の「正当な補償」として償わなければならないのです。17条は、第11,12,13,16条などに基づく援護を怠る行政不作為、立法不作為による損害を、国家賠償法で救済するための条文です。

第13条の「公共の福祉」について、過去の判例ではその意味内容を吟味することなく安易に解釈されてきた。最近、裁判所の具体的な違憲審査基準として、何が適当かという点に議論の中心が移ってきていると言われています(『条文ガイド六法 憲法』尾崎哲夫著 自由国民社)。

 

同じく新聞記事に、「立法不作為」について「(補償立法の制定は)立法府に広範な裁量が認められる」という裁判所が判断した文章があります。
 戦後補償裁判は、かような見解が判例化、慣例化、硬直化しているのだろうか。憲法施行以来、行政や立法府の重大な憲法違憲無視、明瞭な不作為を裁量範囲としてしまっていいものか。行政事件訴訟法30条は、裁量行為であっても裁量の逸脱や濫用があれば、取り消すことができるとしています。また判例を参考にするとしても、判断は、古い不合理な判例に拘束されてはならないでしょう。日本の司法は消極主義であると言われていますが、実態は度を越えて逸脱と濫用に当たります。司法は行政からの独立を願う。そして国民の最後のよりどころであって欲しい。

第76条 3項 すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。

第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する最終裁判所である。

 

最後に心配するのは、統治行為です。

この沖縄戦国賠訴訟の、訴状や控訴理由書に対する、被告国が裁判所に提出する「答弁書」を読んでいませんが、おそらく沖縄高裁の判決と判決理由が、「答弁書」の指示、意向を反映したものでしょう。

東京大空襲訴訟の事例をみると、「訴状」に対して、被告国側が東京地裁に提出した「答弁書」は、その冒頭で、1.原告らの請求はいずれも棄却する。2.訴訟費用は原告らの負担とする、と書き、はしがきの中には、名古屋地裁の前例を持ち出し、「・・・戦争被害ないし戦争損害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなけれればならなかったところであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところというべきである、としている。原告らの主張する損害も正に「戦争損害」として、国民のひとしく受忍しなければならない損害であって、これに対する補償は、憲法も予想していないところなのである。したがって、原告らの請求が認められる余地のないものであることは明らかである。・・・」と書いています。支離滅裂。

これらで被告国は、答弁書の各所において、完全に日本国憲法の条文の解釈を回避し、勝手な意味をつくり、国民(空襲等被害者)をだまくらかし、裁判所に却下を指示する効果を狙っていると思われます。われわれもなめられたものだ。

また、被告“国”と言ってもその該当する部局が示されておらず、捉えどころがない。「答弁書」の被告指定代理人として数名の氏名が書かれているだけ。『司法官僚』(新藤宗幸著 岩波新書)によれば、裁判官が法務省訟務局に出向する裁判官が、毎年1乃至4名いるという状況を書いています。訟務局に出向した裁判官は、訟務検事として、国家補償訴訟を含む行政訴訟で、被告である国側の弁護人を務めるのが役割だと云う。戦後、戦争被害の補償を求めて、国を相手に訴訟を起こすということは、総務省訟務局の職員・訟務検事を相手にしているわけです。時の法務大臣は、訴訟状況を把握しているのでしょうか。

かくして、訴状に対する国側の答弁書は、訟務局が、全く憲法にそぐわない反論と判例を挙げます。文書の最初と最後には、裁判所向けの、高圧的、指示的「判決文」が書かれています。

さて、法廷では、裁判長と二名の裁判官は原告側弁護団の陳述をよく聴いています。国側の数人の若い代理人は、全く反論発言をしません。裁判長も反論を促しません。まともに憲法に関する弁論であるため、反論をしても藪蛇となってしまうので、それは出来ないのでしょう。

2年間で7回の口頭弁論を開いた後、判決日には、きっと原告の勝利に違いないと期待していると、裁判長は数行の棄却判決を読み上げて、他2名の裁判官と共にそそくさと退場しました。

後で判決理由文を読むと、裁判官の心情も分かります。国側の答弁書に沿うべく、直接憲法の条文に関わらないよう、触れないようにあれこれ工夫して書いています。良心に背き訟務局の答弁書に従うようみえみえの努力が伺えます。
 裁判官が、これほどまでして原告側が訴える憲法判断を回避し、訟務局の指示に従わなければならないのか。司法(地方・高等・最高裁判所)は、法務省訟務局の下にあるのでしょうか。本来の三権分立には程遠い。

また、法務省訟務局も、なぜ現憲法に基づく検討内容の答弁を書かないのでしょうか。憲法を素人でも呆れるような内容の答弁書です。戦前・戦中の政府による種々言論統制、戦後のGHQによるプレスコード(日本新聞遵則)、ラジオコード(日本放送遵則)で厳しく検閲する仕事の名残りが、行政風土として今日に至っているのでしょうか。もしそうならば、行政不作為の罪に当たります。

それとも、地位協定を含む日米同盟にでも抵触するのでしょうか。もしそうならば、それを理由に明記してもらいたい。昭和34年の「砂川事件」の判例では、(要旨)「(日米安保条約が)違憲かどうかの法的判断は、この条約を締結した内閣及びこれを承認した国会の高度に政治的で裁量的な判断と密接に関連する。そのため、この条約が違憲かどうかの判断は、純粋に司法的な機能を使命とする裁判所の審理には、原則としてなじまない。したがって、一件極めて明白に意見無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査(=違憲審査)の範囲外のものである(前掲『条文ガイド六法 憲法』)」と理由を明示しています。

もし、日米同盟にも無関係ならば、判決の冒頭に「国会に民間被害者を援護する立法を命ずる」判決を加えて、原告側の勝訴として然るべきだったでしょう。

いずれにせよ、文明国では、戦争に勝っても負けても、自国民を救済するのは当然です。戦後72年、年々戦争被害者は亡くなっていきます。未だに民間戦争被害者を救済できないとは、文明国として異常な状況です。あと残るのは、いま係争中の南洋戦国賠訴訟。まともな審理が期待できるだろうか。
  

日本国は、9条に基づいて、武力による国際紛争解決には参加しません。今後、政府の過度に積極的な日米同盟で、万が一戦争に巻き込まれても、政府は民間被害者を救済しないのでしょうか。

  戦後72年、被害者は超高齢加しています。いま、国会で、「空襲被害者等の補償問題について 立法措置による解決を考える議員連盟」(空襲議連)が結成され、援護法を検討しています。次の通常国会には、戦後初の空襲被害者等を援護する法律ができることを期待しています。

                             世話人 西沢俊次