清岡美知子さんの挨拶 東京大空襲訴訟原告団副団長(90歳)

 1945年3月10日、父は防空群長をしていた。すごく低空で焼夷弾を落とす飛行機、ものすごい風に煽られる炎に、これはバケツリレーで消すのは無理、家族4人は墨田公園を目指して逃げた。言問橋の下の船着場には、猛烈な火炎に追われ大勢の人が逃げ込んできて、家族4人も冷たい川の中に押し込まれ、家族はばらばらになる。私は冷たい水の中で、船着場の桟橋に必死でつかまり、熱風で熱い頭を鉄兜で水をかぶり続ける。見上げる言問橋は家財と人の炎のアーチ。隅田川は人、満員の船、その他いろんな物が流れていく。風の音、炎の色、人の焼ける匂い、もう忘れることはできない。

 私たち被害者は訴訟を起こし、棄却されたが決して無駄ではなかった。マスコミにも取り上げられ、犠牲の凄まじさ、戦後の悔しい想いは伝わったと思う。

 と述べ、「この集いで、全国の空襲被害者がさらに手を取り合い、力を合わせ、「援護法」の成立へ頑張っていきましょう。」と挨拶をしました。

安野輝子さんの挨拶 大阪空襲訴訟原告団代表 全国空襲連副委員長

 69年前、私は鹿児島県の片田舎の目抜き通りで、B29が落とした爆弾の破片で足を失いました。幼稚園の年長6歳になったばかりでした。その後杉山千佐子さんと戦時災害援護法案を国会へ14回も出したりして運動を続けてきましたが、全て廃案になりました。長い間、この会ものまま何ごともなかったかのように私は死ぬんだろうかと思っていました。

 2008年12月8日に、大阪空襲訴訟原告団は大阪地裁に提訴しました。しかし地裁も高裁も棄却でした。いま現在、最高裁に上告中です。毎日、今日は返事があるのかな、今日はあるのかなと思いながら過ごしています。