全国空襲連・結成4周年のつどい

星野 弘 全国空襲連運営委員長の挨拶

この猛暑のなかお集りいただき、心から御礼申し上げます。

 私が退職したとき東京都に行き、東京の空襲で死んだ人の名前は何名かと訊いたところ、3930名との答えに驚いた。

 1999年に、東京都も空襲犠牲者の氏名記録に着手し、昨年末で8万150名の空襲死者名が記録された。これらの人々がこの地球上に生きていたということを後世に伝えることができた。続いて大阪も神戸も氏名記録をしている。

一昨日の朝日新聞によれば、広島、長崎、沖縄の戦争資料館に加えて、愛知県と名古屋市が共同し、県民から寄贈された戦争に関する資料を展示する戦争資料館を、戦後70年の来年8月に開設する予定。首都東京には、真の公的資料館はまだない。

軍人軍属にはいま累計55兆円の補償を行い、民間の被害者には一銭もなし。民間の死者、傷害者、孤児、これら死ぬ思いで生き抜いてきた人々に温かい言葉と、少しでも医療費の援護があってしかるべき。

「皆さん方の力、世論を高め、国会の立法化によって、憲法に基づいた公平な措置をするように要求します。」と結びました。

中山武敏弁護士 全国空襲連共同代表

 戦後補償の国際的な原則は、軍人軍属と民間人と区別をしない。国籍による内・外人の区別をしないこと。日本政府は誤った政策を続けている。ビデオの吉田さん、清岡さん、などの被災者の訴えを聴いてもらいたい。このような沢山の訴えがあったから、東京大空襲訴訟での東京地裁は、判決理由で「原告の受けた被害は計り知れないものがある。これは国会の立法を通じて解決すべき問題である」と書いた。

 来年の3月6日には浅草公会堂で1200名規模の集会を予定し、合わせて国会の援護法立法化を実現していく。地方議会の決議、意見書も重ねていく。皆さん頑張っていきましょう。

新社会党中央本部 長南博邦書記長

 私は、茨城県水戸市の出身です。水戸市も昭和20年の8月2日に、もっと早く戦争終結に導けば、遭わなかったであろう空襲を受けました。300名以上が亡くなり、市のシンボルであったお城の教室で命を失いました。

 私の母は、中湊の網元の娘で、当時の艦砲射撃の恐ろしさを何度も語ってくれました。二度と戦争を起こしてはならない。しかし今、新しい戦時下のようなきな臭い動きがひしひしと足早に迫ってきていると思います。私も不勉強でございました。軍人軍属には50兆円以上もの補償をしている。しかし第一次大戦からもう前線も銃後もない。前線だけではだめで、銃後をたたく戦術となってしまいました。大空襲被害者には一切の補償もなされていない、まさに法の下の平等にもとる、とんでもないことだと思います。

 

共産党 田村智子参議院議員 

 一昨年の厚生労働委員会では、戦争の被害について、政府はどこまで調査をし、記録をしているのかという質問をしましたが、やっていないどころか担当する部署もありません。総務省が戦争の追悼行事にからめて、追悼式典に職員を送り出すときに、その地域に残っている戦災の記録のコピーを取ってくるぐらいの活動しかしていない。いったいどれだけの民間人の犠牲者があったのか、政府として正式の記録を残すことができなくなってしまう。

今年の5月決算委員会で取り上げましたことは、大阪空襲裁判での「防空法」の問題です。「逃げるな! 火を消せ!」「焼夷弾は手でつかんで捨てれば大丈夫だ」こんなことが隣組を通じて国民に徹底されていた。空襲のとき、多くの人が自分の家から離れることが許されませんでした。子供だけが生き残った、なぜか。大人は火を消すことが義務付けられていて、子供は疎開させた。それがために多くの戦争孤児を生み出してしまった。

緑の党グリーンズジャパン東京都本部 漢人明子共同代表 

 私たちは、全国で平和、環境、人権、市民自治を求めて活動する約60名の市民派の議員です。緑の党の大きな特徴として、国際歴なネットワークがあります。世界の90の国や地域に、同じように緑の党として活動する仲間たちがいます。フランスやドイツのように小政党として活動しているところもあれば、ラテンアメリカやアジアのように金権政治や軍事政権のなかで、命がけで頑張っている仲間もいます。 

 このような国際的なネットワークの中で見えてくるものは大変大きい。

社民党副党首 福島瑞穂参議院議員 

 私の父は特攻隊の生き残りで、7年前に亡くなりましたが、その一年後に、高校を卒業するとき皆が寄せ書きをした大きな日章旗がアメリカから戻ってきました。今日8月15日は私に格別の想いがあるのですが、15日の12時のサイレンの時、父はよく泣いていました。私はすごく怖くて父のそばに寄れなくて、父の体験をほとんど聞くことができないまま父は亡くなってしまいました。

 いろいろ救済が少しずつ拡大するなかで、なぜ空襲被害者が救済されていないのか、超党派の議員連盟の再開に頑張ると同時に、本当にあの戦争が何だったのか、一つひとつの被害や問題点をしっかりやっていきたい。そして国会の中で必ず援護立法ができるよう頑張っていきます。

結いの党 柿沢未途衆議院議員
     (空襲被害者等援護法を実現する議員連盟 事務局長)

 このカメリアホールは私の選挙区で、この江東区は一番被害が大きかったところの一つです。親の代から、皆さんからあの夜に何が起きたのか、一夜明けて目の前にどんな光景が広がっていたかというお話をたくさん聞いてきました。被害者を援護するこの仕事は、私が果たさなければいけないと思うようになりました。

 議員連盟の再立ち上げは、やはり多くの国会議員の賛同を得、与党の皆さんの理解と協力を頂いて、戦後70年のこの年にやろうという気持ちになって頂けなければ、立法はいくら頑張ってやりますといくら言ってもできません。私は自民党の先生方にもお願いをしていますが、残念ながら理解が広がらない。霞が関のスタンスが影響しているのではないかと思います。こうしたことをさらにさらに粘り強く続けて、これで本当に戦争が終わったという日を迎えることができるよう、私も頑張ってまいります。どうぞ皆さま方も相変わらぬ粘り強い活動を心からお願いいたします。

日本弁護士連合会副会長 立法対策センター委員長 花井増實氏

日弁連は、1975年の人権擁護大会で「民間戦災者に対する援護法制定に関する決議」を致しました。1993年の人権擁護大会でも同じ決議をしましたけれども、残念ながら実現していません

今後ますます援護法制定に向けて広がっていくのではないかと思います。私ども対策センターでは、「防空法」による被害拡大の研究をしているところです。いろんな情報を頂き、援護法の制定に向けて活動をしていきたいと思っています。

東京都原爆被害者団体協議会事務局長 家島昌志氏 

私たちも空襲被害の一種でありますが、放射線があるがゆえに救済されるということになっております。被爆者は40万人から今19万2600人、東京の被爆者は1万人を数えましたが今は5300人。被爆二世の方が上回ってきています。残る人生は少ない。いま、70年を目指すこの運動が最後の機会であろうと考えます。

ドイツでも最初は軍の従事者が補償されたが、国民の運動によって被害を受けた民間人も等しく補償をする。フランスもしかり、ヨーロッパ先進国に比べて日本は何と遅れていることでしょう。戦後70年にしてこの有様です。私たちは空襲連と共にスクラムを組んでこの困難に立ち向かうために頑張りましょう。

東京都平和祈念館建設(仮称)を進める会世話人 高岡岑郷氏

記念館の建設は、都議会全会一致で決めました。しかし1998年に、都議会に建設計画が提案されました。ちょうどその頃、新しい教科書をつくる会という団体の動きが始まっていました。それに関わっていた一部の都議会議員が、この建設計画の中で「軍事都市東京」という項目があることに対して、難癖をつけて、この計画は都議会の合意を受けた上で実施、という付帯決議をつけて、多数の力で可決をしてしまいました。皆さんもご承知の通り、この頃から日本の侵略戦争に事実を自虐史観などと称して、歴史を歪め、戦争を美化する動きが始まっています。それから16年、私たちは都知事や都議会へ要請や陳情を毎年毎年繰り返し行ってきました。しかし、この16年間のほとんどは石原都政でした。都当局も都議会も都議会の合意を諮ることを一切せず、平和記念館建設は事実上凍結されてきています。その結果、多くの都民から寄せられた資料、約5千点といわれていますが、倉庫に埋もれたままにあります。東京都は、資料を提供された多くの都民の気持ちを踏みにじるものではないでしょうか。メディアも報道しています。ちょうど終戦記念日の今日、私は一つのことを思い起こします。ドイツが29年前の1985年5月8日、ワイツゼッカー大統領の言葉。

「問題は過去を克服することではありません。さようなことはできるわけがありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」

 皆さん、空襲被害者の皆さんの空襲被害者援護法の制定の運動とともに、かつての戦争の惨禍を語り継ぎ、平和を大切にする平和祈念館の建設の実現のために、一緒に頑張りましょう。

(岩波ブックレット『荒れ野の40年』の補注:「克服する」と訳したドイツ語のbewaltigenは、「ケリをつける」、「終わりにしてしまう」という意味と、これとほとんど反対の)「内面的に十分に理解して自分のものにする」の両義がある。「過去の克服」という場合、多くは後者の意味である。しかし、ここで大統領が、前者の意味で使っていることは、文脈からいって明白である。)

作家 早乙女勝元氏 全国空襲連共同代表

 今日は言うまでもなく8月15日です。「8月15日って何の日」と若い人に訊きますと、多くの答えは「お盆」です。終戦記念日との答えが少数派になってきたこと、それ自体が平和の危機ではないのでしょうか。あの日あの時、私は向島の寺島町にいたとき、13歳でした。てっきり一億玉砕の時が来たんだと思いましたよ。それでも生きて戦後を迎えることができました。

 木の葉のように失われた多くの人たちのことを考えました。彼らは私にこう言ったように思われる。「君だけは特別に生き残らせてやる。だから10万人も死んだ炎の夜を語り継いで行ってくれるだろう。戦争の足跡が近づいてきたときに反対してくれるか。」「はい」と肯いた日より、ずーっと休みなく書き続けてきました。そして民間募金による東京大空襲・戦災資料センターをひたすらに立ち上げました。そして東京大空襲訴訟で、一番目の証人尋問で法廷に立つことができました。ただし、その前に国側は意見書(H20.4.24)で、私の証人尋問は有害であると書いた。要するに東京大空襲の語り継ぎは好ましくないということですね。しかし弁護団の追及のおかげで、国側は意見書から、この「有害である」という文言を「訂正申立書」(H20.6.2)で削除しました。

 いま日本は戦争の道に向かっていくのか、それとも平和を守り切れるか、重大な岐路に来たと私は思います。戦争も原発も後の世に残してはならない。本当の民主主義の理念を取り戻すべく、空襲被害者援護法の実現に向けて、もうひと踏ん張りしようではありませんか。いま頑張らなくては頑張るときはございません。一人ひとりがぜひ力を出し切って70年に向かって行こうではありませんか。

藤森 研氏

   ―平和をどう伝えるか ―

足立史郎事務局長

                アピール

 

城森 満 副運営委員長

藤森先生の素晴らしい講演、お話しはいつ聞いてもこころにホカっと温かいものが入ってまいります。

われわれは、東京を再び火の海にさせないという空襲被害者の思いを、国会を通じて実現していきたい。皆さまのご理解とご支援をお願い申し上げます。

 

 おわり