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  全国空襲連は、3月5日参議院議員会館で、空襲被害者援護制度の立法化を求めて集会を開きました。国会議員29人(本人出席18人、秘書11人)と空襲被害者等合計120人余が参加し、満席となりました。党派を超えて多くの国会議員の皆様に、空襲等被害者の今の気持ちと実態を理解し、立法化にご協力をお願いします。

 名古屋空襲訴訟は、「最高裁昭和62年6月26日第二小法廷判決」では棄却されましたが、その理由文に、戦争損害に対する「その補償のために適宜の立法措置を講ずるか否かの判断は国会の裁量的権限に委ねられると解すべきもの」と書いていました。
 東京と大阪の空襲訴訟に対して、東京地裁・高裁と大阪地裁・高裁ともに棄却しましたが、理由文に、
この問題は、「国会が、様々な政治的配慮に基づき、立法を通じて解決すべき問題であると書いています(大阪空襲訴訟は最高裁へ受理申立中、沖縄空襲訴訟は一審の審理中)。













                                    記録文責は、世話人 西沢俊次
星野弘 運営委員長の挨拶 (要旨)

もう戦後69年、あと1年で70年。民間人の犠牲者が何の手当も受けていないという事態を解決すべき。犠牲者の名前も、国としての追悼碑も資料館もない状態を何としても解決したいと今日まで頑張ってきた。どうか今日のこの集会がスタートになることを祈念し、皆さま方のご支援をお願いします。


中山武敏 代表運営委員長 (要旨)

 第一審の東京地裁判決は、原告団の苦難は計り知れないものがあると認めた上で、「この問題は国会の立法で解決すべき」という判決を出した。それを受けて全国空襲連が結成されました。
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鳩山邦夫衆議院議員   

  空襲連の皆さま、鳩山邦夫でございます。中山先生から、至れり尽くせりのご挨拶をいただいて、私が申し上げることは全部おしゃべりになったという思いです。
 私は、うそを付けない人間ですから、正直に申し上げて、この空襲連の皆さま方の問題というものを、それほど前から理解していたわけではありません。
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福島瑞穂参議院議員
  (要旨)

 杉山さんなどの様々な集会に参加し、法律を作るということでやってきました。社会党時代に「戦時災害援護法案」を作りましたが、残念ながら成立しなかった。今日は超党派の力強いご挨拶があります。しっかり力を合わせていきたいと思います。空襲の話は全国どこでも聞きます。今国会で法案を出せるよう、鳩山先生方につづいてしっかり頑張ります。


佐田玄一郎衆議院議員

 群馬県の前橋空襲の体験から、非戦闘員が無差別に殺戮されたということは事実でありますから、世界に訴えていくことが大事だと思います。


田城 郁 参議院議員    (主旨)

 選挙の結果半減してしまいましたが、鳩山先生を先頭に議連を再構築し、空襲被害者等援護法の成立に務うけて頑張っていきたいと思います。


近藤昭一衆議院議員    (主旨) 

 こんにちまで杉山千佐子さんのお話をずーっと聞かせていただきながら、残念ながらここまで来ております。いま田城議員の話にありましたが、国が戦争を起こしていた。そして最後の半年で70万人以上の民間人が亡くなられた。国の責任が大きい。鳩山新会長のもとにしっかりと頑張っていきたいと思います。


小池晃参議院議員      (主旨)

 鳩山議員からも話がありましたが、国の責任は明確で、軍人軍属以外を補償しないというのは、法の下の平等に反するとはっきりおっしゃっています。差別なき戦後補償という点からすれば、この問題の解決に向けて、本当に党派を超えて全力を尽くす決意です。


笠井亮衆議院議員   (主旨) 

 いよいよまた新しい体制づくりを国会の超党派で、戦後70年を前に、いまここで決意をしなければということで、努力をしたいと思います。先ほどからNHKの「ごちそうさま」というドラマの話が出ていますが、私自身の母もそんな空襲の大阪から広島に疎開し、被爆しました。


安井信久氏 (愛知県弁護士会会長)    (主旨)

 ・・・・・・・自由・平等・平和をうたった憲法を頂点として、弁護士は法の支配、人権擁護が社会のすみずみまで行き渡るよう努力しています。この世の中には理不尽なこと悲しいことがなかなかなくなりません。これらをもたらすのも、改善していくのも人間です。戦後補償はいまこそ皆さんと一緒に声を上げなければならないとき、長すぎる一歩先に必ず幸せがあります。

    
講 演                    ↓クリック  戦時下の防空法と国民 
           
     大阪空襲訴訟弁護団 弁護士 大前 治氏

柿沢未途衆議院議員  (要旨) 下町江東区選出の議員でございます。皆さま方全国空襲連の会議に何度もこうしておじゃまをさせていただき、議員立法、私も責任をもって頑張ります、とお話をさせていただきました。
 杉山さんのお姿を見るたびに、大変申し訳ない気持ちになるところでございます。
 今日は鳩山先生もお見えになって、何とか超党派の議員連盟を立ち上げようと、中心になって頑張っていくという話をしていただいたと思います。現政権になって、この議員連盟をつくるにあたってもなかなか壁が厚くなっているということを、私自身が最も強く感じているところでございます。私も壁に当たって挫けそうになるんですが、皆さんがこうやって議員会館を訪れて、働きかけをされていることに心を打たれて、ここまで歩んできたと思います。今日は支援する超党派の先生方が来ておられます。ある方の言葉、「身内の墓には何もない。せめて何かを残したい。その気持ちだけ。」という言葉を胸に刻んで、皆さんに形のある成果としてお返しをしたいと思っています。皆さまの挫けない奮闘と、私どもへの励ましをお願いいたします。

           (柿沢先生には、議員連盟の事務局長としてお願いすることになっております。)


大島九州男参議院議員    (要旨)

 いま防空法のお話の最後の方を聞かせていただきましたが、私たちがしっかりとしなくてはならない。正しいことを正しく発信をしていくことが必要です。自分たちの都合のいいように発信をする、政府はそういう傾向があり、戦時はまさしくこの通り。私は、原発関係の仕事をしていますが、ここでも都合の悪いことは隠してしまうとか、都合のいいことを発信する。

私の父の兄が特攻隊で亡くなりました。戦争で被害を受けた皆さんは、二度とそういうことがないようにと68年間、反戦を続けてきたことは、必ずどこかで実を結ぶというのが私の信念です。

  ―― 休 憩 ――

        

杉山千佐子さん (全国空襲連 顧問 名古屋空襲被害者

 皆さんこんにちは。杉山千佐子です。1915年生まれ、若い若いと思っていたら、何やら100歳に近いのだそうです。今日は、防空法の話を聞かせていただきました。防空法ができた当時、人はその意味をほんとうには分かっていなかった。ただ陛下の御ために、国のためにと言われたとおりに一生懸命、焼夷弾を消す練習をしていました。 
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安野輝子さん (大阪空襲訴訟原告団 代表世話人)

 今日の午前、弁護士の先生お二方と私で、最高裁判所へ要請をしてまいりました。その要請書を読ませていただきます。

         
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吉田由美子さん (東京大空襲訴訟原告)

 昭和20年3月10日の東京空襲で両親と生後3か月の妹を失くし、3歳のとき孤児となりました。いま東京スカイツリーのある業平で生まれました。両親の顔も声も覚えていません。
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渡辺宏子さん (東京大空襲訴訟原告)

 3月10日、父42歳、母37歳、長女の私12歳、妹3歳、赤ちゃんの弟、東駒形3丁目に住んでいました。すぐ下の11歳の弟は、集団疎開で千葉におりました。ただならぬ父の声に叩き起こされ、
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糸数慶子参議院議員   (要旨)

 先ほど夕刊を見ましたら、東京大空襲のことが書かれていました。沖縄もほんとに皆さんと一緒で、今も後遺症を引きずりながら大変な状況にあります。私の両親もあの凄まじい沖縄戦を体験しています。私と姉は八つ違いですが、その間の二人の兄弟が亡くなっています。一人は栄養失調、一人は生後一週間でおっぱいも出ない状況でなくなってしまった。沖縄の住民はどのような体験をしたのか。ほとんど軍人の補償はなされていて、戦争に巻き込まれた一般の方々の話というのは無かったことには疑問を懐きます。戦争の体験をした方がどんどん減っていく状況のなか、残されている方々はもちろん、多くの国民も間違っていると感じているのではないかと思います。それを国会の中でどう反映していくか、いま私たちの議員は厳しい岐路に立たされています。このことを理解する議員が少ないのです。体験された方々の話を、いま政治の中枢現場にいる若い方々が知らない。そいうことを伝えながら、私は国会議員として皆さまと一緒にやっていきたいと思います。


豊村美恵子さん (東京大空襲訴訟原告)

 私は87歳になりました。重度障害1級です。5年前心臓病で、こんな年寄を施術したことないと言われました。余命1年と言われても裁判が終わるまで死ねないということで、人工心臓に取り換えて
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黒岩哲彦弁護士 (東京大空襲訴訟弁護団事務局長)

 いま、東京大空襲訴訟原告団も弁護団も、日本弁護士連合会を通して活動しています。

日弁連立法対策センターは、1975年11月15日に、日弁連は名古屋で人権擁護大会を開いて、「民間戦災死者、傷害者に対する措置をいかに制定するか」を、今から39年前に意思決定していました。私どもを含めて弁護士会としての活動は不十分だったことを根拠に、今後立法に向けて国会へ働きかけをしていきたい。

もう一つは、日弁連の中で人権擁護委員会があり、人権救済の申し立をされるとここで意思決定されます。意思決定自体は、法的拘束力はないんですが、日弁連の法律的判断による社会的な影響力は大きいと思います。


有光健氏  (全国空襲連)

 私はいくつかの戦後補償に関わっていますが、4年前に「シベリア特措法」ができて、その後、他の戦後補償の課題には全く動きがありませんでした。

 シベリア特措法により、全国で6万9000人の方に、一人当たり抑留された期間に応じて25万円から60万円が支給されました。ここで一つ問題にあったのは、国籍条項というのがありまして、外国籍の方は入っていない。従って植民地から動員された台湾の方と朝鮮半島からの方には一銭も支払われていないんですね。韓国のこの関係の会長さんが昨日亡くなられました。日本に何度もお見えになって、私どもと一緒になり首相官邸まで行って補償の要求をしたんですが、未だ叶えられていません。

永田町の構成がまったく変わってしまいましたが、皆さんの努力でこのように新しいスタートとなって本当によかったと思います。もう素案ができているわけですから、どの党もそんなに反対する理由もないんじゃないでしょうか。おそらく最後まで抵抗するのは財務省だと思います。財源をどうするかということですが、与党の先生方に頑張ってもらうしかない。もう来年は戦後70年です、前倒しで解決するように、国会議員の方々にお願いしていくよう頑張りましょう。


城森満 副運営委員長

 選挙結果、議員連盟の51名おられた議員が21名になりまして、中山先生をはじめ、いろいろ相談をしてきましたが、柿沢先生にたいへん熱心に応じいただいています。柿沢先生は東京都江東区出身で、一番被害が酷いところなんです。先生が選挙区のあっちこっちを歩いて、ここに死体の山があった、ここは多くの死体が埋められたところだとかいう話がしばしば出てくる。これはどうにかしなければいかんと言うことで、援護法を実現する議員連盟の再発足に努力を約束されています。

 鳩山先生がおっしゃったように、自然災害に補償が出ているのに、国家の指導で行われた戦争の被害者には何の補償もないとうのは筋道が立たない。このように鳩山先生の賛同を得て、全国空襲連も2回ほど各党の議員さんの事務所をお願いに回ったのですが、たいへん受けはよく、今日の集会となりました。何とか戦後処理のいちばん大きな問題の結果をだして、亡くなった民間の65万人の方たちによい報告ができるようにと思っています。

そして、できるだけ近いうちに改めて「議員連盟」の立ち上げへの協力に頑張りたいと思っています。


                     終